僕らの南極

セカペンたちの知っていること、考えてきたことの記録

ろんろんろん。

君の世界を考える空想論

遠くの君まであと何ミクロン

笑ったところは甘い甘いマカロン

その笑顔が泣き顔に変わる確率論

もし僕がそうしたなら君のためにもすぐにどろん

そんな僕の言葉に君は胡乱

しだいに増えてくからかいの世論

僕を苦しめる言葉のアイロン

君が使う自分のためのとげとげマロン

すれ違いの口論

痛みを脳まで巻き上げるサイクロン

そんなもの伝えないでニューロン

苦しさみせないための仮面メロン

つないだ手を見て考える並行論

でも知っていてほしい

不安ばかりでも君が大好きな僕の心論 

 

 これは僕が高校時代に書いた詩で、『ココロン』というタイトルで文芸部の冊子にのせた。高校最後の文芸活動ということで、たまには詩を書こうと思い、電子辞書を取り出して逆引き検索で「ーろん」を調べる。そのときに、僕は「ー論」とつく言葉が意外と少ないことに気づいた(*1)。

 そんな思い出をひっぱってきたので、「論」ということについてちょっと考えてみたい。

 

 

 「論」という言葉は何なのだろうか。

 これについて考えているときに、二号が「論って漢字は『言う』という漢字と本を数えるときの単位である『冊』に似た字が入っているよね。言った事を本にして本棚に入れているみたい」と言った。それをきいて、「ふむ、そうか」と思い、ついさっき僕はGoogle先生に尋ねてみた。

 ろんろんろん。

 僕は主に「論」という文字の部首でないもの−右側にあるもの−について調べた。その結果は次の通りだった。

侖【おもーう】きちんとそろったさま。 そろえた短冊。きちんとそろったもの。

 ここから考えられることは、「論というものは、言う事をきちんと揃えるということだ」である。うん、当たり前だ。だからこそ、「論じなさい」という問題が作られるのだろう。

 「論じなさい」という言葉は、主に教育の場で作文や小論文という形で求められている。与えられたテーマについて、自分の言葉でそれを書くというものだ。

 他の県のことは知らないが、僕のいる県では公立の高校入試で国語の問題の最後に作文を書かせていた(*2)。この作文を突破するために、僕にいた塾では作文の指導が月に一回程度行われていた。

  • 原稿用紙を正しく使う事。
  • 必ず三段落で書く事。二段落目は「確かに」、三段落目は「しかし」で始めること。
  • 作文の原稿用紙の最後の行に最後の文字がかかるように書く事。特に、250文字まで書けるとしたら、246-250文字の範囲に最後の文の「。」がくるように書くこと

……といったことを指導された。

 「確かに〜、しかし〜」というテンプレートは便利である。水月が言うには、高校の時は英作文の授業で「It is true that~,but……」という形で教え込まれたことがあるそうだ。

 現在、僕は週一で小学生に作文を書かせるという授業の手伝いをしているが、「テンプレートがあれば便利だよな」と思ってしまうことがある。テンプレートがあると教える側はとても楽ができる。また、書く側の子どもも「これやれば終わりなんでしょ! はい!」みたいな感じでさっさと終わらせることができる。

 しかし、テンプレートを与えてしまうと、「考えて書く」ということの目的から反れてしまったり、じっくり考えるということをしなくなったりするのではないだろうか。上記の太字部分のことについてだが、最後から五文字以内に「。」が来るように書くと、どうしても大喜利や短歌の形式のように、文字の細かいところを直しておさまればいいやというような感じで書いてしまう。文末を「〜と思った」とすることを「〜と感じることができた」とするような、一番最後の文章での文表現や語彙の問題になり、もはやそれ以外の部分はおざなりになってしまいがちになる。

 こうした文章教育は、果たして必要なのだろうか。

 正直に言うと、こんなつまらないものをするくらいなら、ショートショートを書いたほうがためになる。そう僕は思う。

 原稿用紙五枚以内で物語を終わらせる。起承転結をさっくり書く。面白いかどうかは訓練次第だが、構成力はつくのではないだろうか。ショートショートとは言ったが、なにも架空のストーリーに限定しなくていい。自分の経験を短く物語るということが、子どもにとって後の「論じる」の力になってくるのではないだろうか。

 

(おまけ)

 僕はこの「論じる」ってことが大の苦手です。国語ってものが苦手というのは、おそらくそこからきているのではないかと思うくらいです。

 今こうして文章を書いていますが、論じるってことができているかといえば中途半端だなと自分でも思います。未だに「これを論じきったぜ!」という気持ちを抱いたことがないからこそ、今からじわじわと色々と拙いながらも書いていこうと思っています。

 

(*1)このことについて書いているときに水月から「なんでもなんとなく書いたものに『論』ってつけたらそれっぽくなるからね。坂口安吾とか堕落論なんて書いていますし」と言われた。なんとなく何かを書いて、それを象徴した単語を出して「論」をつけるとそれっぽくなる。おそらく、「観」という言葉もそういう意味で類似しているのかもしれない。

(*2)この作文の配点は、調べたところによると平成24年度の時点で14点である。100点満点だと「まあ、そのくらいか」と思うかもしれないが、公立入試の一科目の配点は60点である。文字数は200~250字である。